透明境界線

日常の感情の肯定。詩を置く場所。

SNS

私はツイッター、インスタグラムなどのSNSに所属しているが、たまにその全てを放棄したくなる。放棄したいならすればいいのだけれど、数時間経つとやっぱり開いてしまう。ほぼ中毒なのだろう。
スマホを持たなくても情報は自然と入ってくる。必要な情報とそうでもない情報が目に耳に入る。それが、スマホの電源を入れてアプリを起動させれば嫌ってほどにさまざまな情報が目に飛び込んでくる。私はツイッターを何度も辞め、何度も再開させた。理由は簡単、繋がりたいから。
しかし使っていると疲れるものだ。普段は楽しめていても、ふと心に余裕がまったくなくなった時。例えば今日みたいな日には、邪魔になる。どうでもいい話、どうでもいい愚痴、どうでもいい自慢。ほんとうにどうでもいい。どうでもいいのに人差し指を使い眺めてる。
インターネットを繋げないと誰とも仲良くなれないわけではない、それでも私がSNSにどっぷり浸かるのは何故なのだろう。
自分の居場所が現実にないから。かも知れない。バリバリに働いていたら毎日ツイッターなんて出来ないし、そもそも覗く暇がない。

インスタグラムはツイッター中毒になる前に細々と続けており、今でも気軽に投稿している。タグを付けると色んな人達の写真を見ることができ、それがとても面白い。

ツイッターがなかったら、嫌な人の気持ちを知ることはない。ツイッターがなかったら、知らない誰かの価値観を知ることはない。

繋がれば気持ちの共有。
繋がりすぎると嫌悪感。

うまくインターネットとの距離をはかりながら生きていきたいだけ。