透明境界線

日常の感情の肯定。詩を置く場所。

雪に埋もれることのない不安

不安だ。
全部が全部、今、少し先、未来が不安のベールで包まれている。過去は過去。と割り切れるほどタフではないので、昔の出来事は数日に一度思い出しては苦しくなる。あやふやなものが、苦手だ。曖昧で言葉になるかならないかわからない程度のものが、苦手だ。そのくせに、アレはアレ、コレはコレと言い切れない。これは根っからの優柔不断さが出ているから。決断力はさほどない。

いつだって寂しい。
幼い頃はひとりでいるのが当たり前だと思い込んでいたけれど、少し背が伸びて中学高校と上がっていくと、人と人とが繋がって暮らしているということに気付いた。ひとりでいるのが楽だったから、友達を作るのがとても苦手だったし、集団行動の中にいると自分が押し潰されて殺されるんじゃないかという恐怖に、常に苛まれていた。
そんな幼少期〜思春期を過ごしていた私は今、ひとりでいるのが苦しい。昔と真逆の気持ちが存在している。

これを、いつも通院している病院の主治医に相談してみたところ、『お母さんいなくなっちゃったからね、お父さんだって早すぎたじゃない』と言われた。私の病気からくる症状というよりも、今の環境が私をこうも寂しくさせているのだと分かる。

けれども、両親は生き返らない。
天国へ行き、天国から戻ってくるなんてことはあり得ない(と思う)。

寂しがりが加速するとその先に待っているのは自己否定と希死念慮だ。いつも必ず決まってそうだ。

今日は本当に精神がやられている。詩を書いたり読んだり、珈琲を飲んだり電車に乗ったりするのは平気。予想以上に雪が積もって、それがもしかしたら心細さの引き金になったかもしれないが…。

人が好きになった。
多少の人間不信はあれども、対人恐怖症は残っていても、人と話すと自然に笑うことが出来る。気分転換になるし何しろ楽しい。

明日が来るのが怖い。
誰だってきっとそう思う日もあると思うけれど、私は明日や明後日や未来がやって来るのがいつも怖いです。

曖昧さに慣れたい。
当たり障りのないものの上で生きていくのは、なんだかんだ言いつつ、安心なのだから。