林檎
風邪をひいた夕べに
キッチンから聞こえてくる
何かを擦る音
倦怠の体を座椅子にゆだね、目を伏せる
母が無言で机上に置いてきた
林檎
わたしは何も言わずに齧り付く
時間をかけて
つよい酸味と水分がじんわり体に浸透する
(沈黙)
なにも言葉を発しない母
橙色の木漏れ日
近づいては遠退くメジロの囀り
林檎のおかげで やっと少しお腹が減ってきた
『ほかにもなにかたべたい』
その一言が出ない
恥ずかしがる必要なんてひとつも
ないのに
二〇一八年、初春
生活音のない家で
今年二度目の風邪をひく
ずいぶん昔、あんなこともあったっけ
不意に思い出に感傷する
わたしはあの頃ひどく不器用で
あなたの大きな背中がいつも眩しかった
愛おしい
母に今 あいたくて