透明境界線

生きていく。詩を書く。

希死念慮と後遺症とともに生きていくんだろう

今年の夏で、脊髄損傷を負ったのが2年になる。あの夜のこと、感情、激痛が今でもフラッシュバックのように鮮明に、ふと蘇ることがある。
生きていることがとても苦しかったし、母を失った喪失感で胸がはちきれそうで、衝動的に落ちた。

意識が遠のくなか聞こえてきたのは「内臓破裂」のことば。あ、自分はもうすぐ死ぬんだ。あ、酸素マスク…。あの頃の私は悲劇のヒロインになっていて、毎日をドラマや映画のように過ごしていた。当時付き合っていた恋人を散々心配させた。

あれから今まで、膀胱のなかに医療器具を入れてその先のカテーテル(膀胱留置カテーテル)から排泄を済ませている。最初は慣れなく1年間はとてもストレスを感じていたけれど、今は何とかやっと馴染んできて、カテーテルから排泄することも楽ちんに感じられるようになった。それでもきっと、からだはストレスでいっぱいなんだろう。
自分で実行して、未遂に終わり、後遺症を抱え、今、今日私は生きている。

昨日も今日も希死念慮はいつも通りにある。

 

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日曜月曜は大好きな友人と葉桜を見て、公園でお酒片手に子供たちが遊んでる姿を見て一緒に笑った。コスメを見たり、ガールズトークに花咲かせ、急遽宅飲みをした。一緒にいて、とても素でいられるんだ。私の体のことも気を遣ってくてるところが優しい。何でだろうか、あの子にはついつい愚痴もこぼしてしまう。このブログをもし見ていたら、ここでも言おう。私に死にたみが訪れた時、また電話してもいいかな?

 

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白黒思考って本当に嫌。すぐにマイナスに捉えてしまう。

これさえ矯正したら、随分と希死念慮も薄らぐのだろうか?
そんでもって、後遺症とともに暮らしていくのがやっぱり私は嫌だ。だけど仕方がないんだ。
いまはとっても不安定。死にたい気持ちと生きていたい気持ちが混同しているこの状況を、どうにか突破する道を探している途中です。

死にたいまま生きるしかないかな。

 

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