透明境界線

生きていく。詩を書く。

脊髄損傷から丸2年

2年前の8月12日。
私は飛び降り自殺を図り、腰椎を破裂骨折と足の甲の骨を折り緊急手術と入院をした。ICUに入っている間、兄に『どうして死なせてくれなかったか』と泣いたりしていたし、母に会いたかったのにそれすら叶わなかったことを、強烈な痛みを麻薬で誤魔化しながらぼんやり考えていた。
後遺症が残った。足腰の神経痛と、長歩きが出来ないのと、膀胱直腸障害(自力で排尿ができない)。それに加え、下腹部に脂肪が付きやすくなって好きなボトムスの服が入らなくなった。
後遺症諸々のストレスは今でもとても苦痛で仕方ない。遂行しなければこのようにはならなかったわけだし、完遂できたとしたらこの苦しみも今生きている苦しみからも解放されているわけだ。

友達からは、私の後遺症を気にして随分と気配りをしてもらっていると思う。未遂
する前より仲良くなったかもしれない。でもきっと、たまに『消えたい』を言うとその都度嫌な気持ちにさせているかもしれない。


今年の8月12日は、未遂をしたことを忘れていた。暑さのせいか何だかしらないけれど。
生きていると今も同じように生きづらいし、傷つきやすいし、働いていないことへの無念感というか申し訳なさ、無力感に苛まれて。ちょっとした一瞬の幸せには気付きやすくもなったけれど…。
一瞬の幸せに気づいてほんの少し満たされることは、未遂前には何もなかった。
自分は幸せになってはいけない人間だと小さな頃からそう思っていた(親から押し付けられた間違った思い込み、思考でもある)。
例えば、鬱の日に兄が美味しい晩御飯を作ってくれると、ありがたみを感じたり満たされる。足腰が多少しんどくっても街に出掛けられることも、ある角度から見たら幸せのひとつだと感じられる。

それでも私の病はいつも死にたがりで、いつでもどこでも死にたいままだ。きっと、本当に死ぬまで死にたいままだ。カウンセラーからは『死にたい気持ちがなくなることはないけれど、今より軽減されるはず』と助言を受けている。

あれから2年。時が経つのは早いね。
希死念慮を持ち寄りながらどうこれから生きていこう。生きたい気持ちを強め
るには、自信や成功体験、自己肯定感が今より一層必要かもしれない。
私が詩を書いている理由のひとつには、承認欲求のほかにも自分を保つためだったり書くことによって昇華をしているんだろう。
誰しもが生きるだけでいっぱいいっぱいのこの時代で、生きて呼吸をしているだけでも万々歳だ。