透明境界線

生きていく。詩を書く。

私が死ななかった理由

暑い夏が気づいたときには終わっていた。季節は初秋、私は入院。
命がある。

私は今、県内の大学病院に入院している。8月11日の夜に隣町で、飛び降り自殺未遂をした。クルッと半回転回りながら落ちていったのを今でもよく覚えている。

 

(以下、自殺やメンタル的に重い内容なので、トラウマや耐性のないかたは読むのを避けていただきたいです。)


下半身から着地し、脊椎を折って損傷&左足を骨折した。救急車の中では”何だか大変なことになっているな”『内臓破裂』の言葉を何度も耳にして、”ああ、これでようやく死ねるんだ”と心から安心したのだった。兎にも角にもとっても痛かったけど。

激痛のなか病院に到着、あれこれしつこく質問責めされ、ウルッセーと叫ぶ。こんなときに『なんの薬飲んでる?』と薬の種類を聞かれたり。それどころじゃないよー。
脊椎すなわち腰の骨を折ったため、緊急手術。とても不安だったのを覚えている。だって背中を切って骨を接着するんだもん、怖いでしょ。
そういえば兄が顔面蒼白で駆け付けてきたっけ。

 

今、腰にボルトが何本か入っている。左足は手術せず、包帯でぐるぐる巻き。週末以外はリハビリに励んでいる。松葉杖で歩く練習を1日2回している。正直過酷。

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下半身の麻痺はないけれど、膀胱直腸障害、神経因性膀胱という障害が残った。これから一生付き合っていかないとならなくなった。

私は結局死ななかった。
死ねなかった?死にきれなかった?運が良かった?『生きていてくれて良かった』と、友人やTwitterInstagramの人に言われて複雑。死にたくてやったことだから。

 

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生き残ったことに何かしらの意味があるのなら、これからも生きていくしかないと思った。それに恋人をひとり置いていくわけにもいかないし。

心の整理がついていかないまんま、秋がやってくる。

 

最後にひとこと。

病院食が美味しすぎる。

ぐるぐる

煙草の灰を飲んでしまったから私は生きるだけ生きる、喫茶店にて隣のおじさん口笛吹いてる、なになに何か良いことでもあったのかな。地球は食べたら美味しかった。もぐもぐもぐって食べるから人がどんどん死んでいく。ちっとも悲しくなかった。私は衝動で生きている。衝動性の女。だから人に迷惑かけるけど、それでも愛してくれる人がいる。おかしい?おかしいね。頭痛がするのはカフェインか熱中症のせい。夏が私を殺しにやってくるので許さないよ、あと一二ヶ月で消えてくれるから許さないよ。なんてね嘘だってば。こうして支離滅裂な頭脳を持ち寄り歩いているのにだぁれも見向きもしない、気づかない。気づこうともしない。夏が、夏が、私を可笑しくさせた。あなたが、私を許しにやってくる。