透明境界線

生きていく。詩を書く。

生まれたてのアイデンティティ

怪我をした箇所が痛むように、心が苦しくなると胸が強く痛む。今私が大変だと意識しているものは、対人関係ではなく自分自身の問題について。
どんなことに対してでも極端に自己否定と自己嫌悪をする。だめな人間だと解釈する。極端な話、消えてしまえば楽になるとか。未だに白黒思考になる。どっちつかずでいいんだとわかっていながらも、それが今は出来ないことが“悔しい”。希死念慮は10代から消えないまま、勝手に私の左肩に重く乗っかっている。落ちちゃえばいいのにね!!!!

 

もっと自分を褒めていいし、何かひとつ達成できたらすぐさま褒めていい。

否定ではなく、当たり前と思わず、自分を肯定する。いくら周囲の人たちが肯定して褒めてくれても私自身が自己肯定して褒めてあげなきゃねって思ってる。

変わりたい。変えられるのは自分以外いない。

 

最近になってやっと産まれてきてくれたこの自我をぎゅーっと抱きしめてあげたい。悲しみや絶望を感じたとき、泣いているとき、もうひとりの自分(生まれたての自我)が私のそばに駆けつけてきて、『大丈夫だよ』と。『そりゃあ、こんなことがあるとつらいもんね』と。『私がいるからね』と。そう言ってくれる。(※二重人格とは違うよ、マインドフルネスみたいなものだよ)
どうしようもなく言葉にならないほどの気持ちや死にたみをセルフケア出来るようになったら、私の症状も少しは安定していけるんじゃないかと信じたい。だけどそれは難業だと知ってる。

 

時々、強く思う。

もうひとりの自分、産まれてきてくれてありがとう。
亀みたいな速度で、成長していってね。と。

かなしい

好きなものを値段を気にせず買える生活がほしかった。

ひとり焼き肉やひとり居酒屋、バーへ通ったりそんな年齢相応な経験をしてみたかった。
持病をしっかり治療したかった。本名のような生き方をしたかった。
わたしにとっての『普通』を追い求めていたけれど、それが無理だと気づいてしまった。
ごくごく平凡な両親の元に生まれたかった。毎日殴られたくなかった。学校で苛められたくなかった。
大学へ入学したかった。
青春を送ってみたかった。
ウェイウェイしてみたかった。
病気にならず健全な心身だったら、毎日希死念慮に苦しまずに済んだ。

 

今更こうして何を言っても時間は巻き戻せない。
周囲が歩くスピードに追いつこうとするのはもうやめた。
自分が情けない。幸せだとは正直言えない。苦しい、苦しい、苦しい。


もう疲れた。
生きるのに疲れた。