透明境界線

生きていく。詩を書く。

おじさん友達に、困ってる。

長い梅雨が明け、厳しい暑い夏がやってきた。冬生まれ冬好きの私にとって夏は大敵だ。自律神経がぶっ壊れているせいで全身から汗がほとばしるし、熱中症にもよくかかる。 水分とりまくって炎天下の中なるべく用事がない日は出ないようこころみよう。

私が45歳のおじさんと友達になったのは、今年の一月。T病院の精神科の開放病棟に入院している時に知り合った、足に障害を持ったひと。その人は見た目が怖かったので、話しかけられたり嫌だなとは初め思っていたが、実際話してみたら優しくて人思い。心にキズをもった患者仲間を笑顔にさせる、人気者。だが生活保護受給者でもあるのが意外だった。

私の退院が決まると、そのひとは私に電話の番号を教えてきた。どうしよう教えてもらったのが誰か看護師などにバレたら私、退院できない。など不安になったけれどしぶしぶ電話番号をスマホのメモ帳に入力しておいた。
退院して暫くして、試しにその電話番号にかけてみたらおじさんは「あめ子ちゃん!」と出た。退院したそらしく、元気そうだった。そのおじさんから毎日のように電話が来るので、初めのうちは電話で楽しい話から色んな話を喋って、私自身、友達1人出来たなあと感じた。

けれど、それが毎日用もないのにかかってきて、もう気づけば夏になってしまった。「生活保護だからお金がない」とか「具合が悪い」とか、私のメンクリの主治医を悪く言う、などといった話をされたくない。いい話はいいけれど、そういう話をされるととても悲しくなる。私も生活保護だけど、節約を楽しめるようにまでやっとなれたから。

私がおじさん友達からの電話をスルーできないのはなんでだろうと考えてみたけれど、単純に自分自身が単なるいい人すぎるからだと思う。最近ほんとうに自分ひとりの時間がなくて、作りたくてもおじさん友達から執拗に電話がかかってきて、参ってる。
ブロックしたら住所知られているから危ないし(逆ギレもしくは心配される可能性あり)、数日に一度電話に出たら、それはそれで勝手に不安になられるし。

今度もし入院しても、誰にも電話番号教えたり教えられたら断ったりしようと決めた。

号泣

自死を遂行することでしか、赦しを得ないような気がしてならない。久しぶりに腕を切った。傷から赤い血液が滴り落ちた。
友人に冷たくされ、自宅から出て近所の高架で飛び降りようとした。
「死ぬくらいならこっち来れば」と言われ、申し訳なさと家にいる安心感が高まった。

昨晩からインチュニブを抜いて、急にボーダー症状が出てきたと思う。好きで抜いたのではなく、先週クリニックに行けず処方されることもなかったため。
インチュニブさえあれば。
周りも自分も傷つけずに済むのに、

てんちゃんに対する悲しみがパニック発作を併発し、この部屋が恐怖の館のよう、まるで。幸せが何だか、分からない。

火曜がメンクリ、水曜はヘルパー、木曜は訪問看護と通所施設の体験利用、金曜は元の自宅に泊まり、土曜は親戚のおじさんの三回忌。こんな山盛りの予定こなせるか。生きてるだけでただただしんどいというのに。

せめて今は泣いていよう。てんちゃんのことも先の見えない不安にも。沢山悲しむ時期なんだろう。