透明境界線

生きていく。詩を書く。

最後の日は快晴だ。

2019年があっという間に今日で終わる。

振り返ると、毎月体調不良に見舞われていた気がする。1月から3月まで精神科に入院して、夏はしょっちゅう熱中症気味になっていたし、秋の終わりに風邪をこじらして喘息発作、便秘、ここのところは胃腸の調子がいまいちだ。

もうそんなに若くないけれど、杖をつかずに歩けるおじさんおばあさんはいいなあと、羨んでしまう。人と比較しても私は私以外に生まれ変わることすら出来ないのに。

 


一人暮らしはまだやっぱり不慣れだ。鬱でも無気力であってもサポートしてくれる人はいないので、ひとりでどうにかするしかなくて。ペットの熱帯魚にはだいぶ救われるけれど、それでも寂しいし、孤独感から寝込む時もある。

 


ここ一年の間で成長したなあと一番に感じるのは、お金のやりくり。ギリギリに近い生活費の中で、失敗の方が多かったのに、9月に大金欠に陥った時から少しずつメリハリをつけながら管理出来るようになった。これは親友からの助言なくしては出来なかったことだから、とても感謝している。

必要なものと食材は、なるべく安く、でも最優先。欲しいもの…例えばスニーカー。履けるスニーカーが二足しか持ってないのでNIKEのものが欲しいんだけれど、私にとってはたかくてとてもじゃないけど安易に買えない。

他の人が普通に買ったり遊んだり出来ることが、生活保護の自分には簡単に出来ない。これは今でも何だか悔しく思うし、昨年までは人に嫉妬の気持ちもあった。それじゃだめなんだよね。

 


夏ぶりに髪を切った。お馴染みのベリーショートに初めての刈り上げ。自撮りをしたけれど、後ろが撮れないのがもどかしい。首元は寒くなったけれど、気分がいい。今年の厄をすべて取り除けたような気もする。

 


ここでは書ききれないほどのいいことも嫌なことも山程あった一年。よく生きた。

毎日が最期の日

一年あっという間、師走が訪れた。

今年はこのblogもなるべく書くようにしていたけれど、辛い時にばかり書くもんだからネガティブ過ぎて読み返せない。

 

7月上旬に初代のベタが星となり、ペットロス真っ只中の8月の終わりに2代目のベタ「すんちゃん」を飼い始めた。ペットショップで見定めていた時、一番人懐っこい子だった。飼い始めて間もない頃は泡巣を作り放題。すんちゃんだけを飼うつもりが、混泳させたい欲が出てきてしまい、ほぼ衝動で(ネットで色々調べてからだが)青コリドラス3匹と、クーリーローチ5匹と、コリドラスパンダ2匹を混泳させるようになった。そのうちコリドラスパンダの1匹は2週間足らずで星となったが、そのほかの皆は未だ健在。

 


f:id:raindroppop:20191209154212j:image

 


f:id:raindroppop:20191209154321j:image

 


f:id:raindroppop:20191209154507j:image





「生き物を飼いなさい」。前から精神科の主治医からちょくちょくそう言われていた。実際飼ってみると、世話が大変で水換えも体力を使う。責任も伴う。熱帯魚はいつも何を考えて泳いでいるのか毎日考えるけれど、答えなんか出てこない、犬猫じゃないから。


すんちゃんはとても賢く、人懐こく、呼べば来るし、家を留守にして帰って来るとこちらを向いて「帰りが遅い!」みたいな顔つきで右に左に泳ぐ。水換え時の水質の変化に弱い。
生き物を飼っているだけで、飼わないでひとりでいるよりは生活が落ち着いてきているような、そんな気がする。

私はいつでも死にたいし、それは病気から来る認知の歪みと脊髄損傷の後遺症の苦しみ由来だったりするけれど。でもこの子たちがいる限り死ねないんだ。いつも仲良くしてる友人もいい距離感で保ててる友人もいて、死んだら会えなくなるし、欲しいものも買えなくなってしまう。美味しいものだって、生活保護になってまだ焼肉食べてない!

 


だから決めた。こう考えてみた。
毎日、今日が”最後の日”と思うようにしようと。

それで生き延びることが出来たら、いずれ希望も生まれるかもしれない。すんちゃんやコリドラスやローチもうねうね生きてるし、新しい広い水槽を買ってあげてそこで悠々と泳いでほしい。

難しく考えすぎた私はくたびれた。
風邪が長引いてメンタルまでぶっ壊れた。
幸せになりたい。