透明境界線

肯定と愛、日常

生きづらさも死にたみも受け入れられずに

今までどれ程に自分を痛め、責めてきただろうか。苦しい時に苦しいと、もう限界だという日に助けてと、あの頃言えていただろうか。

ここのところずっと続く雨がもたらす抑うつと頭痛神経痛で、睡眠時間は長くなった。外にいる時間も短くなり、家事は以前より無理をしてやっているけれどそのあとの疲労感が半端ない。出来ることなら一日中眠り込んでいたい気持ちになる。一週間に一度、布団の中から出られなくなった。もう冬季うつにかかったんじゃないかな。

一年後くらいに、ひとり暮らしをするかもしれない。というかその可能性はとても高い。私がひとり暮らしからイメージするものは「孤独」「ひとりきり」「ひきこもり」…こんな感じで、とてもじゃないが新たなスタートライン!なんて言えやしない。
自分一人で家計のやりくりが出来るだろうか?
急病になった際に自分でどうにか対処出来るか?
昔のようにひきこもって、家事もままならなくなるのではないか?
…悪く悪く考える。よくない方へ考えて、自ら不安の種を成長させてしまう。
最近はこのストレスが引き金となって夜は動悸がしてなかなか寝付けなかったりする。つらい。わりと、いや、とんでもなくつらい。せめて両親がまだ若く健在であったら。とか何とか思う時もあるけれど、死んだ人をこの世に戻せるわけもないし。

あー本当に自分に自信がもてない。あー本当に些細なことで自己嫌悪する。折り曲がった思考の歪みがおそろしくてたまらない。死んじゃいたいけれど。あーまた「死にたい病」に取り憑かれてる。そう言えば昨年に、人間って案外強く頑丈に出来ているってのを経験してしまったんだった。
消えたら無になるわけだから、きっと楽でしょう。呼吸もしないし人間関係も家事も何もせずに済む。ただ、生きている時の日々の中のほんの些細な幸せや数年に一度の人との出会い、小さな良いこと面白いことやりたい事、そういうのは消えてしまったらなにひとつ出会えない見れない感じることさえなくなるでしょう。
それでも私は消えたい。

いろんなものが分からないまま昨日も今日もただ生きてるだけで。それは昔から代わり映えもなくて。生きてるだけでえらいよって無理やり自分に言い聞かせている。それは今になって出来始めているけれど、苦しみは継続していく。

死に抵抗のないわたしたちへ

”生きてて良かった” 誰しもがそう思ったことがあると思う。しかし、私には一度もない。貧乏な家庭に産まれ、父からの暴力と母の無関心or過干渉。今ではそのふたりも存在していない。

楽しいこととは、なんだ。

面白いこととは、なんだ。

幸せとは、一体なんだ。

もしかしたら忘れているだけで、そう感じた事は何度もあったんだろう。けれど今は何も思い出せない。嫌でも思い出すのは、苦しかった事だけ。

 

自殺未遂をしてもなお、この死にたみは決して消えることはない。それどころか後遺症がまたひとつ増え、信頼した恋人にも見放され、死にたみ増幅500倍。

身体が痛むと鬱が来る。孤独は人を殺す。あの日死んどけば良かったとかやらなきゃ良かったとか。とにかく何に関しても希望はもう、持てない。

 

私がこのどうしようもなく汚れた唾だらけの世界から消えたとしても、世界が、あなたが、誰かが悲しんだとしても、時が経てばちっちゃな事の中の一つに消化される。人って案外そういうもんだ。

 

欲しいものは買えないし、医療費高いし、誰にも必要とされないし(ボーダーラインの私なら当然かもしれない)、数年前から詩を書いて投稿しても落ち続ける…ああ、書いてもまとまらなくなるだけなのでそろそろ終わりにしようか。

涙もとまんないしさ。

 

結局。

私が一番欲しかったものは、両親からの愛だった。よくわかんないけどきっとそう。

まとまりのない文章になってごめんなさい。

ひかり

梅雨は呆気なく終わった。
強烈な虚しさは、平穏な虚しさへと変わった。『きみと生きて』、『きみを生きて』、私は幸せだ。そして離れている今も、私は幸せと言えるかもしれない。離れてみて初めてきみの存在がどれ程大きなものだったと、思い知った。そして、私がどれ程きみをがんじがらめにしていたかも、充分身に染みている。
一日寝込むと、翌日の夜は寝付けない。映画を観て朝を待つ。家のことが前より出来なくなった。たばこの本数はいつも通りだけど。

 

f:id:raindroppop:20170720092118j:plain


ね。
眩しくて、生きることが。
眩しくて眩しくて、
痛くて、
目を瞑っていたんだ。

もう、逃げたくない。
光から目をそらすという行為が自傷とおんなじならば、私は今までずっと、自傷行為に浸っていたのだろう。

生活を立て直す力をつけたい。それは即ち生きることに、繋がるから。

ため息を吐け。

心が病んでいても、心臓は動いてる。泣きたい時に泣けなくなったけれど、歩けている。大人になれたから。

 

ベビーカーのふんわりのなかでぼんやりする子は、やがて将来、恋をするのだろう。そんな想像している私もかつては赤ちゃんだった。物心がついた時は言葉を覚え、ひとりで排泄をし、自分で服を着、歩いていたんだ。

 

懐かしいけど悲しくなるのはなぜ?

 

そんなの知らない。

 

 

あの喫茶店のコーヒーは不味いとずっと前から思っていたら、彼もそう思っていたってさ。同じ気持ちだ。あのチェーン系ファミリーレストランの空調がまったく効いていないよね、と彼と彼女に問うたら、2人とも同意見だったよ。暑いんだ、ここは常夏?と感じたもの。はーあ。

 

冬は勘弁はやく春来い来い呼んでいたら、今年も花粉を持ち寄り来てしまった。乱れる自律神経。

 

春は雨がよく降ります。

そのたびに低気圧も通過します。

胃腸が弱い人は、低気圧によるダメージを受けやすいそうです。

 

f:id:raindroppop:20170412190355j:plain

 

昨日の雨で、桜はずいぶん散ってしまった。明け方見た夢では、葉桜の上の上のほうから大量の毛虫が落ちてきた。きもちわるい。

 

春も夏も秋も冬も好きになれないし、毎年季節の変わり目は不調だし、というか毎日不調だし。

 

健康になりたいな。

眠気に纏わりつくハッピーニューイヤー

ハッピーニューイヤー感を年々感じづらくなったのはきっと、歳をとったからだと思うようにしている。日付けが元旦に変わった瞬間感じたのは、また老けてしまうな。って。

 

1/1。
筑前煮、マカロニサラダ、お刺身、焼いた餅が食卓を囲み、炬燵で横になっている我が兄。大晦日にインフルエンザにかかったのがかわいそう。
ツイッターのフォロワーのおせち料理は毎年相変わらずきらびやかで、何だかせつないし、元旦早々に初詣に行けるひとって体力あるなぁなんて。人混み凄いじゃん。色々行列に並んだりするじゃん。わたしはそういうのが苦手だから、凄いなぁって。

 

(どうでもいい話)
筑前煮のたけのこが強烈に美味しくて食べまくった。テレビのお正月特番には飽きた。暇だから恋人に電話をしてみたら、ぐーすかぴーと寝ているらしく、たしか年末に『地元の米屋の餅を買いに行きたい〜神社行ってみようかな〜』と言っていたはずだが、結局夜まで爆睡していたそうだ。お疲れさんです。

 

 

(膀胱炎と後遺症のばかやろうについて)
先月中旬、持病というか後遺症の膀胱直腸障害がたたり膀胱炎になってしまったので、万が一に備えオムツを履いて過ごしている。今更恥ずかしいも何もないよ。
後遺症はつらい。心の芯からつらい。人と会う予定は狂うし日々腰痛だし、トイレで用をたすたびに手指を消毒しなければならないし、その他諸々。精神的にすぐに鬱になり易くなった。

 

1/4。
厄祓いをしに東京の増上寺まで行った
。かなしいことに今年は本厄なので、お線香の香りが密集する寺の中で、お祓い儀式の25分間ずっと意識を集中させて『悪いこと起きませんように』と願った。普通に疲れた。おみくじを引いたら大吉で、疲れが一瞬吹き飛んだ。帰りの車で通った六本木ヒルズは、わたしとは今までもこれからもきっと縁がないだろう。


もうそんなに若くないのだから、全力で時に手を抜きつつ踏ん張っていく一年となるだろう。だろうじゃなくて、そうしたい。自分の心身の健康ケア、通院(特にカウンセリング)、家事、勉学…ああ考えるだけでもやもやしてくるのでもう書かないでおこう。

 

一年間、どうにかこうにか生きていけますように。わたしは幸せでありたい。それくらいで多分、十分だ。

日常とは

『つまらない』日常と『変化のない』景色は嫌い。とかなんとか文句を言いつつも、布団の中でゴロゴロしながらYouTubeTVerを観る時間や夕飯を作って食べる時間好き好き大好き。

あまりに毎日が平坦すぎるので、ロング丈のコートを通販で購入した。しかも80%オフで。やったね私!しかし、週に三回程度しか出掛けないのでこの冬しっかり活躍してくれるのかしら?

チェスターコートよ、お前が私を街へ連れ出せヘルプミー。

 

歳が歳なのでいろんなことを諦めている。たとえば大きな夢とかお金持ちになることとか健康とか。

諦められるようになるというのは、ある意味大人になった証拠でもあるのかもしれない。残ったほんの手で数えられるくらいの希望を幸せと感じたい。自分にとって何が大切かようやく気付けたのだから、あとはそれと向き合うだけ。

 

 

あー眠たい眠たい外は寒ィしこたつはぬくいし……ってみんなさ!そんな感じで今年も冬がやってきちゃったよね。

夢のなかであなたに会える

今日は、長ったらしい夢を夕方17時まで見ていた。私が上戸彩で、ナイスなイケメン達と口づけを交わしまくるという最高な夢だ。

 

毎晩夢を見る。
起きてすぐさま忘れてしまうものから、有名人が出てくる夢(しかも好きな俳優と恋人関係だと最高)、恋人が浮気をする夢(入院中よく見ていた)、空を飛ぶ夢、亡き父と母が元気だった頃の再現VTR的な夢などなど。精神的にしんどい時期だと、毎晩悪夢が続く。

 

1年前に母を亡くした際は、辛く悲しい日々を過ごしていた。半年ほど経ち、日常のなかで何かに悩んでいたり情緒不安定なときに夢によく出てくる人物が、決まって母なのだ。夢のなかの母は、とても穏やかで健康で、私のそばに寄り添うかのようにいる。

よく『死んだ人が夢に出てくるのは、その人があなたを心配しているから』と言われるけれど、どうなんだろう。
もしかして、母には死んでもなお魂があり、私の脳内に向けてなにかとてつもなく強いビームでも送りつけたりしちゃうのかな。なんて。
それはともかく、肉親が夢に出てきた翌日は、とても心が温かく、一日安心した生活を送れる。もう会えない人に、夢のなかで会えるんだ。

 

私にとって夢は、そこそこ楽しく、時に自分を救ってくれるものです。
夢が長すぎて大事な予定があるのに寝坊したら嫌だけど!