透明境界線

生きていく。詩を書く。

どんなに苦難であっても

あっという間に三月も中旬に入った。三寒四温が厳しい。
昨日の昼は詩誌へ作品の投稿をした。今月は投稿厳しいかもと思っていたけれど、先週に書いたものが意外としっくりきたので、数日間推敲を重ねて仕上げた。

 

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コブシの木か木蓮かいつもわからないけれど、地元のまっすぐな道沿いに毎年咲く。可愛いよね。

 

毎月恒例のPMDDも相まって、心身の不調が過敏に出ている。昨日は雨降りのせいで希死念慮。ここのところ眠剤の効き目も悪く不眠症だった。夜中の静けさの中、毛布に包まって明け方まで悶々として死に惹かれていた。心にある不安と孤独と恐怖に負けて、自傷もたびたびした。
メンタルクリニックのドアを開けて着いてすぐに受付のお姉さんに『もう死なせてください』とつい泣きついてしまった。予約時間から一時間半後に診察に呼ばれた私はたぶん、ひどい表情だっただろう。母の命日からずっと親のことで苦しいということ、夜全然眠れなくなったこと、死にたい気持ちが消えてくれないこと…。
主治医に懇願して、眠剤レボトミンを抜く代わりにジプレキサという抗精神病薬を処方してもらった。“死にたいよ〜私、もう頑張ってきたからいいじゃないですか。”と言うと、『頑張る力があるから大丈夫よ』とあっさり言われるし、最後に“死んでもいいですか”と聞くと、『死ぬのはだめよね』と言われた。主治医はいつも厳しいけれど、そのひとことがあって、今日生きている。終わりの会計では受付のお姉さんに、『大丈夫?来週待ってるからね』と優しい顔をして言ってくれた。

新しくなった眠剤のおかげもあってか、昨晩は映画を観てる途中で寝落ちできができた。

 

急激に暖かくなったから、白いヒヤシンスが大きく咲くことはできなかった。それだけの事がとても悲しい。花粉症のせいで肌荒れしていて、化粧をしても自信がもてない。
金銭的余裕がなくて、この先から生活保護で一人暮らしを送るのが不安。欲しいものがなかなか手に入らないことがストレス。脊髄損傷の後遺症が辛い。両親がいないのが寂しい。
発達障害グレーゾーンと、ごくごく軽度の知的障害(遂行機能障害)とアダルトチルドレンがベースで生きづらい。

こうしてつらつらと並べてみると、色々自分で抱えるものが大きすぎることに改めて気づく。この状況下での生活はかなり苦であるし、人から見ると苦行なんだろうし私も体感してる。それでもギリギリ這ってでも生きてるのって、実はすごく偉いんじゃないかと思える。もっと自分を褒めてしまいたい。よくここまで来れたもんだよ。

よく考えてみれば、10代の頃と今を比較するとBPDの症状はずいぶんと落ち着いてきたし、脊髄損傷でも歩けてる。歩けるのは当たり前なんかじゃない。幸せなことだ。カウンセリングの認知行動療法とマインドフルネスを一年以上おこなって、セルフモニタリングもできるようになったじゃないか。それって成長なんだ。

 

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日記帳を新しく購入した。アピカという会社の有名な書きやすいノート。早速色んなことを書くようになった。楽しかったことの記録、やることやりたいこと、感情の吐き出し、欲しいもの。それと、ツイッター経由で仲良くしてくれているひと(友達と言っていいのか、フォロワーと言っていいのか、ツイッター経由で仲良くなった相手をなんと言えばいいのか未だに悩んでる)から他にも使いやすいノートとサラサの渋い色のペン、大好きなマスキングテープをサプライズで頂いた。とても嬉しかった。久々に通話をしたい気持ちになった。

会いたい人がいる。地方にいる友達にもまた会いたい。

まだ生きたいのが本心です。