透明境界線

生きていく。詩を書く。

あの頃に戻れるのなら

雨が降る日の前は足が痛む。
長く歩くことが出来なくて悲しくなる。
母の日には母がいないのでカーネーションを渡すことも出来なかった。お母さん、空からしっかり私を見ていますか?

嫌なことばかりが続いて、そこから逃げようとして現実を見ることを恐れている。

GWの後半、昔私に性的に触ってきた親戚の人と偶然にも会ってしまった。私はその時背筋が凍り、全身に痛みが生じてずいぶんと不自然な動きをしていただろう。親戚同士の付き合いだから避けることが出来ないし、幼い頃の記憶を身内に今頃打ち明けたとしても信じてくれるはずがない、分かってくれないだろう、と話をしていない。打ち明けたのは数少ない友人と主治医だけ。

どうしてみんな、苦しみを隠しながら笑顔で生きていけるのかなあ。満員電車の中押しつぶされながら、仕事に行って頑張れるのかなあ。身体障害の私には到底無理で、就職はきっと夢のまた夢だろう。息をするので精一杯、友達に頼ってばかり、どう足掻いても病気と共存していかなければならないという使命。

小さい頃の夢は花屋さんになることだった。
幼稚園の卒業アルバムの表紙にたくさんの色とりどりのチューリップを描いて、お母さんと手を繋いだ絵は裏表紙に。あの頃はまだ私は、幸せだったのかもしれない。

17の時に彼氏が自殺した。
境界性パーソナリティ障害を発症して、援助交際を始めた。もう何もかもどうなっても良かった。男性依存、リストカット瀉血オーバードーズ、自殺未遂、夜遊び。
20歳で死ぬと周囲に公言した。その代わり沢山遊んで好き勝手やってやろうと決めて、ずいぶん遊んだ。20歳で医療保護入院。そこから4年間一切出られず、みんなが青春の真っ只中、私だけ閉鎖病棟。よく出られたと思う。
暗黒の4年間、もし入院していなかったら、今私は生きてはいない。でも入院していたから得たものよりも、失ったものの方が大きい。友人、好きなバンドの追っかけ、父を看取ることとか色々。

幼かった背の小さな頃に戻って、すべてをやり直せるならやり直したいな。今度は両親に殴られることも無く、クラスで虐められることも、何事もなく暮らして大きく育って。